2022/04/24

右翼

https://www.abc.net.au/news/2019-04-10/christchurch-shooting-far-right-groups-in-ukraine-eastern-europe/10983542#amp_tf=From%20%251%24s&aoh=16506541842495&referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&share=https%3A%2F%2Fwww.abc.net.au%2Fnews%2F2019-04-10%2Fchristchurch-shooting-far-right-groups-in-ukraine-eastern-europe%2F10983542

2017/07/14

野党と報道。この先どういう手で行くつもり?

7/10閉会中審査。この時、加戸守行前愛媛県知事が言った「加計学園ありきで来た」は、僕も書いた6/20の物と同じ。

無縁の片田舎のオッサンが、どうしてこの内容を知っていたかの種明かしをすると「特区とはそういう制度だから」に尽きる。公開されている制度、読めば誰にでもわかる。分厚い議事録を読むまでもない。当たり前の事なのだ。

野党と報道が、国会で決められた制度を知らないはずがない。知っていながら延々とクダラナイ言いがかりをつけ、時間を浪費し国民を欺いてきた事は、記憶に焼き付いた。

「制度は読めばわかる」と書いてはみたが、その実際は一般には判りにくい物。
その点、加戸守行前愛媛県知事の話は非常にわかりやすかったし、国民にも理解できたはずなのだが、報道はまたその機会を失わさせた。何度裏切りをやるのか。
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このページから引用する

 衆参両院で10日に開かれた学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設計画をめぐる閉会中審査から一夜明けた11日の朝刊各紙は、官邸の不当な関与を主張する前川喜平・前文部科学事務次官の発言を大きく取り上げた。一方、国家戦略特区として獣医学部設置が認められたことに関し「ゆがめられた行政が正された」などと文部科学省の過去の対応を批判した加戸守行前愛媛県知事の発言については記事で取り上げないところもあり、報道の“印象操作”が浮き彫りとなった。
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ネットにはこれらの報道に対する批判が殺到したのを見て、朝日はこの後、ネット上だけにこそっとアリバイ的に記事を載せている。「権力への監視が使命」とは・・ご冗談を・・。

野党もネット上の批判を見て今後の対応を迷っているようだが、無益なイチャモンを付けて、世論を混乱させた責任はきちんとつけてほしい物だ。



2017/07/07

報道機関は犯罪企業?

戦前は軍国主義と報道は言うが、そのように世論を煽ったのは朝日と毎日。その方が売れたからだ。
南京大虐殺も朝日の本多。慰安婦も朝日の上村。
そして今もその遺伝子が残っているのか「言論の自由・表現の自由」を楯にして、煽動記事ばかりを書いている。

それも選挙と言う、公平な選択肢を提供するのが何よりも報道の使命、と言う場面においても、政策ではなく個人を揶揄するゴシップ記事の類ばかり。印象操作と言う範疇ではなく煽動とサブリミナル犯罪レベルまで堕ちた。
 
そのマイナスの効果で、国民の暮らしをより良くする国策や方針をどれだけねじ曲げて来たか。その辺の暴力団やコソ泥などよりどれだけの損害だったか。これこそ社会的犯罪の中でも最たるものだろう。
 
政治は社会悪を排除する使命を真っ先に担っているのだが、報道に媚びへつらい、取り上げてもらいやすいテーマや表現を行う様相は、馬鹿としか言いようがない。野党の情けなさは、まずここから来ている。

一斉にプラカードを持ち、報道席カメラに向けてのアピール。キャッチコピーにスローガン。主張は15秒以内。TVカメラ写りの良い所に陣取っての演劇行為。TVニュースに一般市民インタビューとして映る、仕込み用劇団員と何ら変わりない。自ら進んでその配役を演じるのだから、むしろそれ以下だ。

それが国会内部でも、マスコミと野党の利害関係が一致する、強行採決風のシナリオによって、パフォーマンスが繰り返される。国会審議中の質問時のパネルも同じだ。野党も政策だけでは論じられなくなっている。

それらは確かに一定の効果はある。図に乗った報道と野党はさらに大勢を雇って、沖縄基地の反対運動まで、行政と、なりすましと報道で、国連まで利用しようとして失笑される始末。

森友・加計・豊洲・築地・その他の議員ゴシップ・・これら全て今現在の日本の状況を考えるうえで、どれだけ優先順位が高いのか。日本の政治の質を下げているのはまさしく報道だ。

そして「言論の自由・表現の自由」を主張しながら、それと応分の義務と責任を果たそうとはしないで戦前と同じ様な事を繰り返す。つまりは自覚も無いのだ。

一体なぜ報道が、無自覚にこうなってしまったのかを考えて見ると、ふと報道業界自体がこの疾患傾向を持っているのではないかと思い当たった。



断っておくがサイコパス・ソシオパスは差別用語ではなく症状(参考リンク)それらはそう珍しい物ではなく、確率的に1人/30人中ほどその傾向がみられる。
 
普段そう言う人は普通に混在していて、多様な人との接触によってバランスを保っているのだが、報道機関全員(あるいは大勢)がサイコパス・ソシオパスの集団であった場合を想像して見ると、妙に納得がいく。なんと、病気なのだから自分では治せない、と言う説明までついてしまう。極端な仮説・・・書いている私自身も荒唐無稽なのでそうあってほしいと思う。

だが現在、この症状傾向での影響で起きる社会的損失は、ブラック企業などとは比較にもならないほど大きい。記者の取材風景のビデオなどを見ると、これはもう放置している事がオカシイ。業界では当たり前・・になっていること自体がさらにオカシイ。

多くのソシオパスは周りが指摘する事で修正できるのにと、誰か気付けよとこうして書いている。都市のソシオパス的生活を送っていると誰しもそうなるのかもしれないが、その影響を報道を通じて日本全部が受けるのは勘弁してほしい物だ。

自ら律し、修正できないのであればそれは病気だ。「言論の自由・表現の自由」は、それらの重い責任と引き換えに与えられているもの。いつまでもおもちゃにしてると取り上げられるのも仕方がない。